木津川市の仏像めぐり 2022編
木津川市の二つの寺院
木津川市の寺社と言えば「海住山寺」が規模、歴史などから有名かもしれません。
されど、規模は小さくとも優れた歴史や文化財を有する小さな寺院もあり、今回紹介する「神童寺」と「蟹満寺」もそのひとつです。
両寺はJR奈良線の「棚倉駅」が最寄となりますが、後述の通り交通機関は不便なものです。
しかし、その不便さを除けば優れた文化財に出会える素晴らしい仏閣です。
神童寺について
棚倉駅から徒歩四十分以上かかり、タクシーの配車にも時間がかかる交通の不便さがめだつ場所にあります。
元は聖徳太子が創建したといい、役行者が修行中に三名の童子のお告げを受けて、その後に別の二体の童子の力を借りて制作したという「蔵王権現」を本尊として,
伽藍を整えられてから「神童寺」という寺院となりました。
現在の重要文化財の本堂は、室町時代の建物であり、それまでに二度の兵火で焼失したようです。
現在の境内は小さいですが、役行者ゆかりの寺院ということもあり、重要文化財の仏像を複数所蔵されています。
住所:〒619-0203 京都府木津川市山城町神童子不晴谷112
電話番号:0774-86-2161
拝観時間:9時から17時
拝観料:500円
御朱印料:300円
拝観と御朱印は庫裡で受け付けられており、お寺の方が本堂と収蔵庫に同行しながら拝観することになります。
神宮寺の本堂について
重要文化財の本堂に内部にあるのが、本尊の「蔵王権現立像」です。
この像は、役の行者自作とされますが、制作年代は室町時代のものとされ、目は玉眼ではない彫眼が用いられた像ですが、3メートルに迫る大きな姿とやや写実性の感じられる姿で、指定文化財ではないようですが、一見の価値があると思います。
この本堂には鎌倉時代の不動明王と損傷の多い観音菩薩が蔵王権現立像の左右に安置されています。
収蔵庫について
収蔵庫はもともと「行者堂」が存在した場所のようで、本堂の裏の高台の上にあり、本堂傍にある石段を登って向かうことになります。
もちろん、お寺の方は同行され、収蔵庫の中でも一緒です。
収蔵庫の扉が開くと、向かって左の部屋に入ると仏像を安置した展示空間へと踏み入れることになり、狭い場所ですが近くで仏像群を拝することができます。
不動明王・天弓愛染明王・阿弥陀如来・毘沙門天・日光・月光菩薩・役行者と前鬼・後鬼などの仏像が並びます。
その中でも筆者の好きな三体を紹介します。
天弓愛染明王
和歌山県「金剛峯寺」の霊宝館、山梨県「放光寺」収蔵庫と並び、重要文化財に指定されている天弓愛染明王です。
平安後期らしく衣文が浅く、抑揚の小さい肉付きとされていて、とてもおとなしいお姿です。
個人的には放光寺の愛染様とどこか似ている感じがします。
しかし、並べてみると左手の弓を弾く腕の伸ばし方などに違いがあります。
不動明王立像
滋賀県三井寺(園城寺)で有名な尊格である「黄不動」の写しのひとつです。
辮髪のない巻髪、上半身が裸、膝上まで裳裾をあげているなど、その特徴を忠実に再現しているようです。
しかし、彩色が白色が用いられ、光背は火炎光背ではなく「板光背」になるなど特徴があります。
別名で「波切不動」とも呼ばれています。
毘沙門天立像
2019年の奈良国立博物館で開催された「毘沙門天ー北方鎮護のカミ」展でも出陳されていた像です。
右手に戟、左手に宝塔を持ち、頭上に兜をかぶり、甲冑を身につけた武将形の姿です。
腹の獅噛や今は失われた甲冑の胸あたりの装飾、兜の後ろに広がるシロコや正面左右に出る吹き返しなどが別の材で制作されている特徴があります。
以外に腰が太く、たくましさの感じられる姿です。
上記に掲載したこれらの白黒写真は,]2008年に訪問した折に販売されていた絵葉書のもので、2022年に再訪問した時はカラーの新しい絵葉書セットと写真集が販売されていました。
写真集も絵葉書も庫裡で購入できます。
神童寺にはこの他に鎌倉時代の十三重塔や収蔵庫に行く石段の途中には二体の石造の地蔵菩薩を祀る覆い屋もあります。
二体とも半肉彫りのレリーフのように彫像されており、向かって左側の像は大きく摩耗しています。
交通について
JR奈良線 「棚倉駅」徒歩40分または、タクシーで15分ほど。
近鉄奈良線「新祝園(しんほうその)駅」からタクシーで15分ほど。
タクシーを呼ぶ場合は、迎えの時間を予約するなどしないと、タクシーを捕まえにくい地域です。
この他にコミュニティーバスと乗り合いタクシーを利用する方法があるようですがタクシーに比べると利便性に劣ると思います。
蟹満寺
京田辺市の「大御堂観音寺」の十一面観音と並びこの周辺の国宝仏を所蔵する寺院としてしられ、寺院の名前の由来ともなった「蟹満寺縁起」と四月の「蟹供養」の法要で知られる寺院です。
現在は真言宗智山派の寺院ですが、その創建については不明な点が多いようです。
境内の発掘調査によると飛鳥時代後期(7世紀末)の創建とみられるが、寺伝では秦氏の秦和賀によって建立され、行基菩薩が関与して寺観が整えられたという。
蟹満寺縁起は、お寺の創建についてよりも観音の霊験説話の意味合いが強いようで、
昭和時代の水害なども現在本堂に祀られる「観音菩薩」のご加護により、難を逃れたとお寺の冊子には記載されていました。
現在の本尊である釈迦如来坐像も由来等が不明であり、今後研究の進展が待たれるお寺さんです。
電話番号: 0774-86-2577
拝観時間: 8:00-16:00
拝観料: 一般500円(30人以上450円)・高校生450円・小・中学生200円
御朱印料:300円
蟹満寺の本堂
本堂を拝観する場合は、隣にある庫裡にてお声をかける必要があります。
御朱印もこちらでいただきます。
拝観料と払うと、本堂正面の段を上がって左側の廊下を進んで、戸を開けて内部へとはいります。
こちらは、お寺の方の同行はなく、カセットテープによる音声説明が流れます。(自分で操作する必要があります。)
なお旧本堂と旧観音堂は解体され、現在の本堂に統合されています。
さて、外陣から須弥壇のご本尊「釈迦如来坐像」と対面するのですが、いつお会いしても威風堂々とされています。
高く左右に張って膝にいかにも分厚さのわかる上半身、相撲部屋の親方のような大ぶりな目・鼻・口をした丸顔など言葉にできない存在感を感じます。
しかし、内陣に入り須弥壇に近づいて拝観すると、鋳掛けの痕がよくわかるのですが、その姿は痛々しいものが感じられ、何度も火災にあっているということを考えると「よく今までご無事で」とお声がけしたくなります。
また、螺髪がないのはこの像を制作した人物の思惑であったとも、火災で失われたともいわれています。
意外なのは、見た目は堂々としているのですが、同時期の作例として有名な奈良県薬師寺の薬師三尊像の中尊に比べて半分の重さしかないという学術調査が出ている点です。
さらに、この釈迦如来坐像は当初からここに安置されていたのか、別の寺院から移されたものなのかが確定しておらず、議論が続いているようです。
本尊の向かって右側の段には、先ほど霊験を語った「厄除け観音菩薩坐像」があり、こちらは頭部は平安時代のもので、首から下は後世のものである。
2022年訪問時は、ご本尊の絵葉書参拝セットと写真集が販売されていました。
2023年の特別展
2023年7月8日(土)から9月3日(日)まで奈良国立博物館では、「聖地南山城 奈良と京都を結ぶ祈りの至宝」展が、9月16日(土)から11月12日(日)まで東京国立博物館にて「京都・南山城の仏像」展が開催されます。
さて、「蟹満寺」のお釈迦様は無理として、神童寺からはどのような方が出陳されるのでしょうか?
今から楽しみです。
京田辺市の仏像巡り
京田辺市の仏像めぐり
2022年12月29日に午前中に絞って京田辺市周辺の優れた仏像を祀る寺院を二か所参拝しました。
ひとつは、三山木駅近くにある「寿宝寺」もう一つは、三山木駅から西に徒歩30分程のところにある「大御堂観音寺」です。
このうち「寿宝寺」の本尊千手観音菩薩立像は、2014年に京都国立博物館で開催された「南山城の古寺巡礼」展に出品され、平時は電話による拝観予約でそのお姿を拝せます。
もう一つの「大御堂観音寺」には奈良県聖林寺の十一面観音と並び称される国宝の「十一面観音菩薩立像」があり、こちらは博物館での出展はないようで、現地で拝観受付の上、本堂内でそのお姿を拝することができます。
この他に「一休寺」もあるのですが、今回は時間の都合で参拝できず割愛します。
寿宝寺について
真言宗の寺院で、創建等の由来は不明という。
寺伝では「山本の大寺山本の寺」と呼ばれ、かつて七堂伽藍が建ち並んでいたというが、何度も再建を繰り返して明治期に近隣の寺院と合併して今に至るといい、1997年(平成九年)に伽藍の改修などを行い、寺の姿を整備し現在にいたります。
かくれ古寺南山城六山めぐりの一つとされ、収蔵庫にある「千手観音菩薩」が知られています。
しかし、2008年に一度参拝し、2014年にも前述の京都国立博物館で出陳されていたこともあり、今回は御朱印のみ頂こうと考えていました。
ところが、御朱印をいただく間に「千手観音様のお姿を拝されますか?」というお寺のお方の御言葉を受け、甘んじて拝観をお願いいたしました。
拝観時間は9時から17時で、拝観料300円、御朱印は300円です。
その上、今回も収蔵庫の扉を閉めて、絵葉書のように「昼」と「夜」のお姿を再現してくださり昼間の厳しいお姿と夜のお優しいお姿を再び拝することができました。
ただ、感謝するだけです。合掌
さて、2014年の京都国立博物館でお会いした時は思う存分鑑賞しまして、手に描かれた眼は放射状にある光背のような小さな小手、意外と衣文が浅く起伏の小さい体躯など平安後期らしいお姿でした。
この時、収蔵庫にあった二つの明王像も展示されていたのですが、「大したものでない」と気にもしなかったのですが、今回収蔵庫で再開してその認識が間違いであったことを思い知りました。
2023年の奈良、京都の南山城の仏像展で再開できればいいのですが・・・(後述)
大御堂観音寺について
こちらも、正確な創建の時期はわかりません。
地元の記録では、天武天皇の勅願を受けた義淵という僧によって創建された親山寺(筒城寺)が起源とされ、聖武天皇の代に良弁僧正によって親山寺を取り込んで伽藍が造営され「普賢教法寺」となったと伝わっています。
その後は、小さな御堂に国宝仏が祀られる小さな寺院として存続することになりました。
JRまたは、近鉄の三山木駅下車して、壽宝寺の反対側の道を進みます。
すると、「観音寺」と書かれた大きな看板があり、その道を曲がって境内内の駐車場にとめて参拝します。
本来こちらの「十一面千手観音様」を拝するには電話にて拝観の予約が必要です。
バスの倍は「普賢寺」のバス停を降りて、来た道を戻ると、観音寺に向かう道があります。
なお、「普賢寺」バス停へは、奈良交通バス90系統「水取」行き、または91系統「高船」行きに乗ることになり、1日六便の運行だけなので時間には注意が必要です。
これとは別に、100系統「同志社大学デイヴィス記念館」行きのに乗り、終点から900mの徒歩で向かうという方法もありますが、こちらは、同志社大学休講日は減便されます。
その道を進むと写真のように燈籠のある道の先に観音寺があります。
こちらの寺院にも駐車場があり、相応に大きいです。
観音寺の本堂に向かう途中に庫裡があり、拝観はこちらで受け付けています。
すると、住職の同行のもとで本堂に参拝することができます。
拝観時間は、9時から17時で、拝観料400円、御朱印は300円です。
なお、ご住職の支持にしたがい、本堂内の仏像の撮影はできませんが、それ以外の撮影してもよいというものがあります。
例えば、国宝の七体の十一面観音の仏像を紹介した展示物などです。
十一面観音菩薩の印象
訪問時は、年末ということもありお忙しい状態での拝観となり、住職同行の元ゆっくりと拝観することはかなわず、しばらく一瞥した後御朱印をいただきて帰ることになりましたが、2008年訪問時は、当時の住職の同行の元ゆっくりとはできませんが、そのお姿を目に刻むだけの時間をいただくことはできました。
聖林寺の像と比べて「女性的である」と言われるとおり、丸みのある顔立ちに整った面貌、狭い肩に緩やかな起伏や括れた腰など「たおやか」に思えるお姿です。
住職のお話から木屎漆は五ミリから二センチほど盛られているらしく、乾漆造らしい緩やかなカーブの襞や体の肉付きなどが見受けられたと記憶しています。
幸いなのは、小判・大判の写真が充実していることです。
2023年の特別展
2023年7月8日(土)から9月3日(日)まで奈良国立博物館では、「聖地南山城 奈良と京都を結ぶ祈りの至宝」展が、9月16日(土)から11月12日(日)まで東京国立博物館にて「京都・南山城の仏像」展が開催されます。
筆者が観音寺を訪れたときは、住職様より国宝の十一面観音は出陳されていということなので、どのような仏像が公開されるのか楽しみであります。
清凉寺の仏像探訪
総論
2022年11月3日に京都府右京区の「清凉寺」を参拝しました。
こちらは、二つの国宝仏と嵯峨大念仏狂言で知られる寺院ですが、周辺の「大覚寺」や「天龍寺」と比べると知名度は落ちるのかもしれません。
しかし、二つの国宝仏は周辺の寺院の中では、完成度の高いものであり、個人的には嵯峨野を探索には欠かせない寺院と思います。
清凉寺について
清凉寺はもともと源融という人物の邸宅跡に、子孫がお寺を立てたのが始まりですが、その後チョウ然上人が、現在国宝に指定されている「清凉寺式釈迦如来」を中国から持ち帰り、この地に安置するようになってから、このお堂が有名になり、「清凉寺」として隆盛していく中で、棲霞寺は縮小して、清凉寺のお堂の一つとして現在まで残ることとなり、その棲霞寺の本尊であったもう一つの国宝「阿弥陀三尊」は霊宝館に移されて春と秋の特別公開時期に限り、他の寺宝とともに公開されています。
本堂と清凉寺式釈迦如来について
①本堂
本堂内にてご朱印の授与と、本尊の拝観が可能です。
ただし、下記の通り秘仏のため通常は宮殿の扉は締まっています。
②拝観環境について
秘仏ですが、かなり公開時期が多いです。
御本尊の開扉は通例、毎月八日の法要後の午前11時以降と四月・五月、十月・十一月です。
いずれの場合でも、内陣に入り宮殿の扉が開かれ、間近で釈迦如来立像を拝せます。
ただ、須弥壇の高さもあり、やや距離はありますが、照明が当てられ相応にお姿を拝することはできます。
②釈迦如来立像について
宮殿に入ったままの拝観ですが、正面から拝することができるので特徴的な「縄を編んだような螺髪」「瞳には黒い石がはめられる」「通肩の衣」「胸から腹にかけて同心円状の衣文がある」「膝上に茶杓子のような衣文表現がある」といった特徴は確認できます。
ただ、両袖側面の鋸の歯のような袖の表現については、正面からだたわかりにくいと感じました。
日本的な定朝様式の優しく穏やかな姿、慶派のような写実的な表現でもない、平安初期の日本的な表現でもない大陸らしい独特の顔立ちは見たら忘れられません。
③胎内納入品について
胎内の納入品は、本堂に「五臓六腑」、その他のものは霊宝館に展示されています。
本堂の脇陣にケース内にて「五臓六腑」が展示され、後で紹介する霊宝館の二階には納入品だけの展示スペースがあり、ここには胎内納入品が発見された時の新聞記事なども展示されており、詳細なことが紹介されていました。
④本堂内部と弁天堂について
本堂の内部は国宝仏の他に、様々な寺宝が展示されています。
弁当」重要文化財の「地蔵菩薩立像」などがあり、須弥壇後方の後陣から廊下を渡ると「弁天堂」とお庭、さらに先には方丈などが鑑賞できます。
紅葉の時期は弁天堂の周辺のおすすめ撮影スポットです。
阿弥陀三尊について
霊宝館の目玉にして、入り口に入るとすぐ目に付く大きな三尊です。
源融をモデルにしたともいわれ、没後に子孫が造像したといいます。
阿弥陀三尊としては、同じく国宝の仁和寺霊宝館の「阿弥陀三尊」とともに最古クラスの作例と言われています。
仁和寺の像がふっくらとして豊満な顔立ちなのに対して、清凉寺の像は頬が締まって精悍な顔立ちとなっているように感じました。
その他の霊宝館の諸仏
霊宝館は毎年春の4月から5月、秋の10月から11月に公開されます。
仏像は一階の展示です。
①四天王
仁和寺の「二天像」とともにずんぐりした体形の像です。
足元の邪鬼の踏みつけられ具合に注目してください。
かなり、ひどい仕打ちを受けている子がいます。
②十大弟子
京都府大報恩寺の像や神奈川県極楽寺の像に比べると、平安後期ということもあり、写実的な要素が薄く、浅い衣文と控えめの肉付きの大人しい造形です。
③兜跋毘沙門天と毘沙門天半跏像
こちらの「兜跋毘沙門天像」は、東寺霊宝館にある根本像を忠実に再現している像のひとつです。
しかし、鎖帷子のような部分を墨書きで表現しているなど、独自性もあります。
この毘沙門天は、珍しい半跏像の毘沙門天であり、近年に修復の上重要文化財に指定されたばかりです。(写真は奈良国立博物館の「毘沙門天 北方鎮護のカミ」展で購入)
2019年には奈良国立博物館で開催された「毘沙門天」展にも出陳されました。
そこで、奈良の常光寺の同じ姿の毘沙門天を鑑賞し、この形式の毘沙門天の生まれた経緯などに興味を持ちましたが、研究はすすんでないようです。
この二体も重要文化財指定ですが、特に普賢菩薩はその姿は片足を下げた帝釈天のような姿をされており、もともと帝釈天だった像を転用された可能性のある像です。
肩幅があり、衣がぴったりとしていて、引き締まった肉体に感じます。
文殊菩薩はなで肩ながら肉付きがよく見え、ふくよかに見えます。
⑤本尊胎内納入品の展示
霊宝館の二階は「本尊胎内納入品」とともに、現在京都国立博物館に寄託されている文化財の複製などが展示されています。
この他にも絵画なども展示されています。
御朱印について
2022年11月現在、御朱印は一種類、書置きのみの対応です。
札所巡りの御朱印はこの限りにあらず。
嵯峨大念仏狂言について
清凉寺の有名な行事です。
本堂で、この行事で利用されるお面が掲載された「クリアファイル」を見つけ興味を持った次第です。
今度実際狂言を見る機会があれば記事に加えたいです。
清凉寺のその他
多宝塔
初層が通常の本瓦葺、二層目が銅瓦葺という珍しい姿です。
経蔵
拝観料100円を支払うことで、内部の輪蔵を回すことができます。
内部の四方には四天王がいます。
清凉寺へのアクセス
①京都バス
京都駅より大覚寺行・清滝行にて嵯峨釈迦堂前下車
②市バス
上記のアクセスでは、「大覚寺」にも行けます。
③J R
嵯峨嵐山駅下車 北西0.5km
管理人が利用したアクセス。
駅の改札口を出て、「丸太町通り」まで歩き、そこを左折して「県道29号線」に出ます。
そこには歩道橋と横断歩道があり、どちらかを利用して北に進みます。
すると「甘春堂 嵯峨野店」があり、それをさらにまっすぐに進むと駐車場があります。
そこにある道を左側に行くと仁王門に行けます。
④京福電鉄
京福嵐山駅下車 北へ0.65km。
再出発の日
2022年の9月にブログ「播州人の仏像探訪」というサイトを閉鎖してしばらくが立ちました。
その間にも各国立博物館の展示を鑑賞したり、図録や本を読むなどして仏像について少しずつ新しい知見が深まりました。
もしブログを再開するとしたら、どのような記事が良いか考えましたが、やはり、何か記事にしないと虚しさを覚え、毎月参拝している寺社の紹介と仏像、文化財の紹介をするブログとして再出発することにしました。
また、閉鎖した仏像ブログの記事を手直しして、自分なりに仏像について分かったことなどを加えた上投稿していきたいと思います。
その上で、「御朱印」や「アクセスや駐車場」なども紹介できるようになれればいいと思います。
現在訪問した寺社、博物館の資料を整理していますので、記事がまとまったものから公開する予定です。